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賽の河原に祀られた戦争の記憶 ~高鍋大師~

2015/09/05

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落下傘部隊の悲劇『忠烈八勇士の碑』

ボランティアのおじいさんと少し話をしていると、一番最初に見た賽の河原の車道を挟んだ向かい側には、忠烈八勇士の碑と呼ばれる石碑が立っていて、こちらにも何か像があるらしいので、ちょっと見にいってみることにしました。

行ってみると、忠烈八勇士の碑の周りは思いっきり駐車場になっていました。他に車置けるとこあんまないんだもんね。しょうがない。

忠烈八勇士の碑

忠烈八勇士の碑の台座には、このような碑文が添えられていました。

忠烈八勇士殉職之地

陸軍大尉  伊藤 成一
陸軍中尉  鈴木 寛
陸軍准尉  河原田 津留吉
陸軍曹長  平方 國三郎
陸軍兵長  池本 治登
陸軍上等兵 杉村 博
陸軍上等兵 山崎 茂男
陸軍上等兵 大森 良市

昭和十八年六月十八日挺進第四連隊では新たに所属となった将校の実兵指揮の訓練を実施し、その中に小丸川を渡渉する場面があった。

前日山間部に降った雨で河川が増水しており、押し流されて八名が殉職した。

この演習を計画した榊原達哉中尉(当時)は責任を負って自決しようとしたが、連隊長に諭され思い止まった。翌十九年連隊がレイテに降下するとき、榊原大尉は地上部隊と提携できる見込みの全く無いタタロバン(レイテ島北東部の海岸にある都市)降下部隊指揮官を志願し、八名の位牌を抱いて飛行機に乗り込んだがその後の状況は定かではない。

殉職八柱の鎮魂もレイテ作戦に参加したのである。碑の裏面に刻まれている歌

何日行くか何日散るのかは知らねども
今日のつとめに吾ははげまん

この碑は初め小丸川の堤防上に建てられたが、堤防改修工事の為昭和四十年に現在地に移された。

石碑の碑文

挺進隊というのは落下傘部隊のことだそうです。ボランティアの方の話では、戦時中この近くに落下傘部隊の演習場があって、詳しい場所などは失念しましたが、演習でここの近くの飛行場から隊員を乗せて飛行機で飛び立って降下後、徒歩で飛行場まで引き返し再び飛行機に乗って飛び立ち降下、ということが繰り返し行われていたんだそうです。

で、歩いて引き返して来る途中に高鍋を流れる小丸川を渡る場面があって、当時指揮を摂っていた榊原中尉の判断ミスにより、増水した川に流され八名が戦地に赴く前に亡くなってしまいました。

人の死に価値のある死に様も何も無いのですが、当時としてみればどうせ死ぬんなら戦地で一人でも多く敵を倒して死にたいと、そう思いながら日夜キツい訓練に明け暮れていただろうに、まさかこんな形で命を落とすなんて、本人たちも想像してはいなかったでしょう。

一時は自殺を考えたという榊原中尉ですが、上司の説得で思いとどまり、後に戦地レイテに向かう飛行機に亡くなった八名の位牌を抱いて乗り込んだという、まさに忠烈物語がこの碑には刻まれていました。戦争という悲惨な時代背景が産んだこの悲劇的な事故を、美談と捉えてよいのかどうか判断に困りますが、小丸川の堤防にあったこの碑が、親より先に亡くなってしまった子ども達が親不孝の報いで苦を受ける場とされる、賽の河原に対峙するように設置されていることに、私は何か意味があるような気がしてなりませんでした。

ボランティアのじーさんは、賽の河原の鬼の像を見る度、この小さな青鬼がまるで子ども達と遊びたがっているように見えて仕方がないんだと言います。しかしそこは鬼の子に産まれてしまったが為に、河原にいる子ども達には恐れられて逃げられて、やけになって子ども達の積み上げた石の山を壊して回っているのだと、そういうストーリーを思い描いてしまうんだそうです。

忠烈八勇士の石碑の隣には、かなり大きな人物を象った石像が立っていましたが、これは岩岡老人の自刻像なんだそうな。タイトルはむエんくよう

岩岡老人自刻像

市街地にある観光協会では、大使くんグッズ販売も

そういえば、事前に調べていてよく分からなかった、ゆるキャラのたかなべ大使くんについてボランティアの人が何か知らないかと話を振ってみたのですが、「あ〜、なんかそんなのもやってるみたいだぁね〜」と、あまり詳しくはない様子でした。

「中にはすごく小柄な女の子が入ってて〜」とか、内部事情をベラベラ喋っちゃうボランティアのじーさん!!まさかいい歳した大人が「中に人なんていませんっ!」なんて本気で信じてる訳ないと当然思われたんでしょうが、まぁあれよ、そこはサンタさんみたいなもんで、大使くんは大使くんって生き物ってことにしといて下さい(笑)

ボランティアのじーさんによると、高鍋の市街地にある観光案内所に大使くんグッズが販売されてるとのことで、今から早速行ってみることにしました。

「あ〜?今からお客さん二名そっちいくから、ヨロシク〜!」と、わざわざ観光協会に携帯で連絡までして下さったじーさん。

バイクに乗って、お礼がてらじーさんのところまで挨拶に行くと、私たちのバイクのナンバーを見て、東京からわざわざ来たことを知り大層驚かれていたようでした。


高鍋町役場の程近くにある、高鍋町観光協会。わざわざ古民家を移築して作られた洒落た建物で、高鍋町の観光に対する力の入れようが伺い知れます。

高鍋町観光協会

建物の脇には、大使くんのイラストがあしらわれた軽自動車が停まっていました。

大使くんデザインの軽自動車

観光案内の中には意外と人がたくさんいて、高鍋町って高鍋大師しか知らなかったけど、他にも有名な観光名所とかあるのかな?

カウンターには、手のひらサイズの大使くん人形が置いてありました。

大使くん人形発見

か〜わいい〜!これ欲しいなぁ。いくら?手に取って眺めていると、お店の方が「あの〜、それ売り物じゃないんです・・・」

大使くん人形は非売品

なーーにーー!!

それにしちゃ、既製品みたいなしっかりした造りしてますが、え〜?何で売ってないわけ??

お店の人によると、このぬいぐるみは以前は業者に発注した既製品が販売されていたらしいのですが、やはり一般的なキャラクターグッズのように大量には作れないので、結果的に単価がかなり高額になってしまい、また原価の回収も難しい為、以前作った分が売り切れてからもう生産してないんだそうです。

「この、手をいっぱい付けるのに余計にコストがかかっちゃうらしいんですよねぇ〜」

はー、なるほど。独特なデザインがこういうとこで仇となってしまったわけですね。

残念ながらぬいぐるみは購入出来ませんでしたが、観光協会には他にも大使くんデザインの文具やステッカー、ショットグラスなどがあり、仕方がないので今回はボールペンとステッカーを購入。

大使くんぬいぐるみ、再販予定ないのかなぁ・・・・

あと、高鍋大師を写真と文章で詳しく解説された本、へたっぴんの美学 ※Amazonの商品リンクですも一緒に買いました。

この記事の一部は、この『へたっぴんの美学』から引用・参照させて頂いております。

結局たかなべ大使くんが何で大師じゃなくて大使なのかは不明のまま

観光協会の人に、「たかなべ大使くんの”たいし”は何で大師じゃなくて大使なんですか?」と、かねてからの疑問をぶつけてみたところ、観光協会の人も理由は知らないらしい。ズコッ

まぁでも、ぬいぐるみはゲット出来ませんでしたが、これから大阪行きのフェリーに乗るため宮崎港を目指します。

私が想像した以上に感動的で興味深い場所でした、高鍋大師。古美術や芸術に興味がある人もそうでない人も、九州へおいでの際はぜひ高鍋大師に立ち寄ってみて下さい。必ず何か心に残る物があると思います。

それにしても、東九州自動車道のインターチェンジから誘導の看板一切ないのはいかがなもんか?つっても、大分〜福岡とはまだ繫がってない現状では観光客の利用はまだ少ないのかもしれませんね。今後の交通網の発展と、大使くんの頑張りに期待です。

インターネットが普及している現代社会では、大使くんも高鍋大師もどこかで話題になればそれこそ電光石火の勢いで日本中・世界中にその存在が認知されるようになって、そのうち駐車場の確保や交通渋滞の心配しないといけなくなっちゃうような日が、いつか来るのかもしれません。

もしそうなったらと思うと、うれしい反面、ちょっと寂しかったり。

・・・つづく

高鍋大師へのアクセス

住所:不明

Tel:0983-22-5588(高鍋町観光協会)

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