新ブログ「べっぷ移住物語」

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たった一人の一般人によって完成された神仏混合ワールド『高鍋大師』

2015/09/05

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この記事は、一つ前の記事高鍋大師とたかなべ大使くん | 温泉ブログ〜なんちゃら街道〜の続きです。九州旅行最終日、フェリーで宮崎港から出発前に、宮崎県高鍋町にある『高鍋大師』という場所を訪れた二人ですが、そのあまりの奔放な世界観に圧倒されてしまったのでした・・・

そもそも、なんで高鍋大師は古墳にあるのか?

賽の河原から広場にやってくると、まず目に飛び込んで来た巨大な十二面薬師。この像の後ろは小高い丘になっていて、察するにこれも持田古墳群の中の一つなのでしょう。

十二面薬師の裏も古墳

古墳の周りには、十二面薬師の他にも数体、似たような大きさの奇抜な像が立っています。

古墳の周りに立ち並ぶ奇抜な像

そして周囲は見晴らしのいい広場になっていて、広場の縁に沿って大小さまざまな石像が所狭しと置かれていました。

見晴らしのいい広場に祀られた石像たち

しかし、なぜに古墳に石像をこんなに大量に祀ることになったのか。参考資料によると・・・

ここにある石像のほとんどを制作したのは、岩岡保吉さんという、ごく普通の彫刻家でも僧侶でもない、一般の高鍋住人でした。

岩岡さんは元は香川県の生まれで、7歳の時に高鍋に移り住み、19歳で米穀販売を手がけて成功と、半生は石像彫刻などとは一切無縁のありふれた物だったと推測されます。

そんな中、29歳の時に行った四国八十八カ所巡礼をきっかけに、高鍋に八十八カ所霊場を再現することを心に決めた岩岡さんは、当時問題になっていた持田古墳群の盗掘事件に心を痛めて、私財をなげうち持田古墳群の一部の土地を購入。ここに八十八カ所を再現することを思いついたのでした。

石仏制作のきっかけは古墳の盗掘対策だったということでしょうか。それとも八十八カ所を再現する使命感の方が先だったのか、しかし、仏像に刻まれた文字からも察しは付きますが、岩岡さんは文章を書くのはあまり得意ではなかったようで、彼がなぜ高鍋大師を作ろうと思い立ったのかを詳しく伝える資料などは殆ど残されていないそうです。

ちなみに、高鍋大師の”大師”は弘法大師から来ていて、これは岩岡さんの出身地が空海と同じ香川県だったからということに起因しているようです。

広場の隅には、弘法大師をモデルにした石像が立っていました。

弘法大師像

高鍋大師造営のきっかけとなった、四国八十八カ所巡り

今回バイクで来た関係で逆回りになってしまいましたが、本来は麓から八十八カ所巡りをしながら丘の上まで登ってくるのが正式な周り方のようです。登って来る筈だった階段を下りて行くと、眼下には高鍋の水田地帯が広がっているのが見えました。山の斜面はかなり急な上に足場が悪いので、スニーカーなどの歩きやすい靴推奨です。

本来のスタート地点に向かう

丘の麓まで降りて来ました。本来のスタート地点から上を見上げると、岩岡さんが表現しようとしていたのが単なる八十八カ所巡りのミニチュアではなく、小宇宙のような壮大な世界だったことに気付かされます。

下から見上げた八十八カ所巡り
下から見上げた八十八カ所巡

再び高台の広場まで上がって行くと・・・

下から来るとよく見えるスサノオ

須佐之男命(スサノオノミコト)がこちらを見下ろしていました。

須佐之男命

大型の作品を作り始めたのは、何と還暦過ぎてから!

当初は仏師を雇って作らせていたこれらの石像ですが、見よう見まねで作り方を修得した岩岡さんは、八十八カ所が完成した後も本業の傍らこつこつと石像を作り続け、その後妻の死をきっかけに営んでいた米穀店を婿養子に譲って、高鍋大師の本堂に和尚として住み本格的制作を始めたのでした。この時62歳

ここにある大型の作品は、全て岩岡さんが70歳を過ぎてから制作された物だといいます。岩岡さんの最後の作品は、83歳の時に制作された風神雷神像

↓風神

風神

↓雷神

雷神


中にはこんな像も!みとこモん すけサん カくサん

石仏に混じって水戸黄門の像が

みとこモんの像は、見ての通り人気時代劇水戸黄門をモデルにしていますが、ってことはこれらの石像は私が思ったよりも遥かに最近に作られたことになりますね。

しかしこれ、どっかで見たことあるぞ!と思ったら、十年以上前に買ったROADSIDE JAPAN 珍日本紀行(※←Amazonの商品リンクです)という写真集に載ってました。

ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行の表紙
ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行に載ってた高鍋大師

この写真集、日本各地のB級スポットの写真を集めた、どちらかといえばギャグ路線の強い本なので、今回は私完全に芸術作品を鑑賞しに行くつもりだったため、この写真集のことは全く念頭にありませんでした。

町のマスコット『たかなべ大使くん』のモデルになった十一面観音と天照大神

高鍋の町が見渡せるこの広場の脇には鳥居がならんでいます。

古墳の脇には鳥居が

その脇には、ゆるキャラのたかなべ大使くんのモデルになった十一面観音像と、その脇にあるのは天照大神(アマテラスオオミカミ)

↓たかなべ大使くん

たかなべ大使くん

↓大使くんのモデルになった十一面観音。

十一面観音

↓天照大神(アマテラスオオミカミ)

天照大神

天照大神の足下にも小さな石像がたくさん置かれていました。

天照大神の足下にある像の意味とは?

この石像が天照大神であることを知ったのは後日だったので、現地では足下に置かれている石像の意味がよく分からなかったのですが、これは古事記に記されている天岩戸開きのワンシーン、岩屋に隠れてしまった天照大神を誘い出す為に八百万の神々を集めて大宴会を開いている場面だと思われます。

これは歌を歌う為に、指揮棒を振っているのでしょうか。

指揮棒をふるう人?

水戸黄門でも十一面観音でも風神雷神でもスサノオでも、もはやご利益のありそうなモンなら何でもありですなぁ。


鳥居の奥には、真っ赤に塗られたブロック製の小屋が。

鳥居の奥にある小屋

中は稲荷神社になっていました。

小屋の中は稲荷神社

壁に何て書いてるんでしょうか。『けモの一サ』????神様に向かってけもの呼ばわりとか(笑)

ケモノってw

阿吽の白狐像がめっちゃかわいいですね。

きつねの像がかわいい

稲荷社の近くにあった小さな毘沙門天像の眼球には、何とビー玉が埋め込まれていました。

さらに広場の方にある、一体しかないけど百体不動と名付けられた像は、腕に抱いた子供ともども目玉にガラス製の食器みたいなのを貼付けてあるだけという奔放さです。

百体不動像

下手に美術教育なんか受けてたら、絶対こんな風にしませんよね。

百体不動と子供の目はガラス製の食器か何かが貼付けてある

そしてこの像にも足下にニワトリが。

百体不動の足下にはニワトリ

人は何か目標や理想を持って生きてはいても、それにかかるお金の問題や世間体などを考え出すと、徐々に最初の思いとはちょっと違う方向に行ってしまうもんなんですが、岩岡さんの凄いところは、子供の様な無邪気さを全く失なうことなく、これほどの大事業を成し遂げたというところでしょう。

存命中の岩岡さんの写真も見られる『大師堂』

巨大な石像ばかりに目を奪われがちですが、傍らにある地味な建物大師堂の中も圧巻です。

大師堂

写真右手に立つ紅白の袴を履いた男性像は、賽の河原にもあった正一イイナイ大神。商売繁盛の神として知られる稲荷神ですが、ここでは本来の五穀豊穣を司る稲の神として祀られているようです。

大師堂の前には大きな鶴の像が二体。その前に並んでいるのはレリーフ状の地獄めぐりの彫刻です。

大師堂の前

地獄めぐりはすでに風化が始まっていて、彫刻の部分を見ただけでは何が描かれているのか殆どわからないんですが、よく見ると足下に小さく、場面の説明が書かれています。

”人ころしたひと かがみにうつる”とか。

”人ころした人 かがみにうつる

玄関はお堂というより社務所か参拝客の休憩所みたいです。

大師堂玄関

入り口のアルミサッシの引き戸を開けると、小さな石像がぎっしりと祀られた祭壇がまず目に飛び込んできました。

大師堂入ってすぐのところ

祭壇に祀られた小さな石像
祭壇に飾られた小さな像

天井からは信者の方々の奉納した千羽鶴がつり下げられ、天井の梁には存命中の岩岡老人ゆかりの写真がずらりと飾られています。

立派な天井の梁
造営当時の高鍋大師の貴重な写真

上の写真中央、天照大神像の前で撮られた集合写真を見る限り、岩岡さんはフランスの郵便配達夫シュヴァルのように、周囲から変人として阻害されていたわけでは決してなく、密接に地元の人たちと関わり、尊敬されていた様です。

園内にある小型の作品の多くは、信者から依頼された肖像彫刻

その証拠に、園内に無数にある人物の肖像彫刻のような作品は、信者からの依頼によって作られた物なんだそう。

園内にある信者の肖像彫刻
学ラン来た子と両親?
並んで合掌する夫婦

園内にはこの日、高鍋大師について説明して下さるボランティアのおじいさんが一人おられ、その人がそのように話しておられました。

三頭身キャラみたいな夫婦の像

あー、なるほどね。だから背広着た人の像とかもあったのか。

この高台の広場には、この他にも紹介しきれないぐらい無数の小さな石像があります。しかしよく見ると、いかにもつたない手先で彫られた作品の中に、やけにリアルな作品もかなり混じっていることに気がつきました。

中にはかなり写実的に彫られた作品も
着物の皺の表現とか凄いね

写実的に作られたこれらの作品の方が、実は岩岡さんの初期の作品なんだそう。資料にはそう書いてあった、多分。見れば見るほど、同じ人の作品と思えない作風なのでちょっと自信無くなってきましたが、合ってるはず・・・

リアルな男性像

いつまでも自分たちの愛した高鍋の町や田園風景を、この高台から眺めていたい・・・そういう思いが、信者さんの彫像から伝わってくるようでした。

広場から高鍋の田園風景を眺める

再び、長いので一旦〆ます。なんせ像の数が膨大なもんで・・・これでもかなり抜粋したんですよ〜。続きは次の記事で!全然温泉関係ないのにえらい長くなってしもた。

・・・つづく

高鍋大師へのアクセス

住所:不明

Tel:0983-22-5588(高鍋町観光協会)

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