新ブログ「べっぷ移住物語」

大分県

大分の名勝・耶馬渓と羅漢寺

2015/10/26

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一日半以上の船旅を終え、新門司港に到着した二人。まず初めに向かうは大分県の別府温泉です。しかし、この時まだ朝の6時半。新門司から別府までは高速ですぐなのですが、こんな時間に行ってもまだどこもお店やってないだろうということで、ちんたら下道で別府方面に向かうことにしました。

大分まで来てデジカメを買う

ところで、一昨日フェリーに乗ってから気が付いたのですが、長年愛用していたデジカメのRICOHcx1がついに満身創痍を超えて、ここに来て突然本格的にヤバくなってきた模様。

症状としては、画面の隅にこんな感じで黒い影が入るのですが、以前から湿度の高い場所などでレンズカバーの羽(っていうの?)が張り付いて開きにくくなったりすることがよくあり、今回もそうなのかとレンズ周りをグリグリ弄ってみるも、羽は開いてるしもっと内部の問題のようです。

カメラ不調でレンズの隅に陰が!

おまけに、何とかならんかと設定をあちこち弄ったせいか、今度はモニターと撮影した画像がズレて写ってしまうようになり、どうしても元に戻せなくなってしまったのでした。

そういや、もうこのカメラもそろそろ買い換えかな~?と、ちょうどAmazonで色々物色していたところだったのですが、買い換え検討し始めた途端に有り得ないタイミングでブッ壊れるこの現象、何て呼ぶのか誰か教えて!

どうしたんだ〜HeyHey Baby〜♪

でも、こうして設定画面開いて改めて振り返ると、何年も使っていながら全く使っていない機能や、それどころか何のことだかさっぱり分からん機能多いなぁ。

新門司〜別府周辺にはヤマダ電機などの量販店がいくつかあるようなので、道中どこかしらでデジカメも購入していくことにしました。

私あんまりこういう機器類詳しくないんだけど、旅先で勢いで買っちゃって大丈夫かしら?

しかしこの際、そんな悠長なことも言ってられないしなー。何であんとき新しいカメラ買っとかなかったんだろうと少し後悔もしましたが、季節の変わり目に出先で適当に買った上着が、案外ワードローブで何年も活躍したりとかあるしね。

名勝耶馬渓(やばけい)と青の洞門

ファミレスで朝食を済ませ、トコトコと豊前バイパスを別府方面に向かって走っていると、遠くにスーパーのイオン看板が見えてきました。広大な敷地に複数の商業施設が共同で入っている郊外によくあるタイプのショッピングモールのようで、イオンの他にもホームセンターとヤマダ電機もある様子です。時計を見るとちょうど朝10時だったので、ここのヤマダ電機でデジカメを買って行くことにしました。

ショッピングモールが近付くと、通り沿いに『青の洞門』と書かれた看板が目に止まりました。青の洞窟なら知ってるけど、青の洞門って??この日はまるで初夏のような気候だったので、涼し気な響きのその景勝地に二人共心惹かれて、デジカメを買ったらそっちも行ってみることに。

案の定、ヤマダ電機にはデジカメは選べるほどの品揃えはありませんでしたが、展示品で安売りしていたソニーのサイバーショットを購入しました。昔サイバーショット携帯を使っていたことがあったということと、連射機能が欲しかったのとで、ダメならダメでも一回飲みに行ったぐらいの値段だしまぁいっか、という感じ。

しかし、当然ながらデジカメは買いましたが充電はされていないので、これが使えるようになるのは明日以降。今日一日は、ズレて映るcx1でどうにか乗り切るしかありません。でも、どんなもんかは分からないけど、新しいカメラが手元に来たというだけでちょっとホッとしました。

日本最長の石橋『耶馬渓橋』

では、ヤマダ電機を後にして、青の洞門へ!カーナビの弘、に行き先を入力してしばらく走ると…

通り沿いに、耶馬溪橋と書かれた看板が立っていて、目をやると見たこともないほど大きくて立派な石造りの橋が!おおっ!

地味にたたずむ耶馬渓橋

それもそのはず、この橋の全長は116mで、何と日本一を誇るそうです。8連のアーチも我が国唯一で、石橋のお殿様(王様)と称されています。

しかし、近くに寄ってよく見ると、欄干などあちこちが崩れていて、かなり傷んでいるのが分かりました。

近くで見ると橋の欄干とかかなり崩れています

案の定、橋の上は補修中で渡ることは出来ませんでした。(2013年5月現在)

橋の上は通行出来ませんでした(2013年5月現在)

江戸時代の手彫りのトンネル『青の洞門』

この耶馬溪橋と反対の方に行くと、青の洞門があります。

車道のこのトンネルも、かつての手彫りの洞門の名残

しばらく走ると切通のようなトンネルがいくつも現れ、突如ドライブインが数軒立ち並ぶ開けた場所に出ました。

青の洞門のドライブインに到着

駐車場の傍らには、青の洞門を作ったとされる禅海和尚の銅像が立っていました。

禅海和尚の銅像

その礎には、禅海和尚がこの地で洞門(トンネル)を造営することになった経緯が記されていました。それによると…

越後の禅海和尚は、仏道修行のため回国行者となって諸国をめぐり、享保の頃この地に来た。

たまたま、山国川ぞいの岩壁にかかる鎖渡の桟道で、踏み外して墜死する惨事を目撃、仏道修行者として、この危難をとりのぞき、衆生救済の門を開かんものと大誓願を発し大岩壁にむかって鑿(のみ)と槌(つち)をふるいはじめる。

悲願三十年、岩をも徹す禅海和尚の不動心は、ついに三四二メートルにおよぶ隧道を貫通させた。

禅海和尚と青の洞門一競秀峰下にその偉業と芳名を千載に留むると共に、万人をして、禅海和尚の心をもって世に処せんと、その心気を奮い立たせる永遠の師表である。

平成二年 八月 十五日 本耶馬渓町

せっかくなので洞門を歩いて散策してみることに。

禅海は越前高田藩の武士の子として生まれましたが、十歳の頃に父を亡くし、母と二人江戸に出て暮らしていました。しかし、父のいない禅海の暮らしは惨めなもので、禅海はいつしか悪い仲間に入って物を盗んだりするようになり、ついに物のはずみで人を殺してしまいました。母は心配のあまり禅海を残して死んでしまい、母の死によって目を覚ました禅海は、これまでの罪を償うために僧となり、国中を巡っているうちこの耶馬渓に辿り着いたと言われているそうです。

ここは洞門の中でも禅海自身が手掘りで穿ったとされる部分で、現在も通行は徒歩のみ。

禅海和尚手掘りのトンネルも残されている

内部は当時のノミ跡も残されていますが、さすがに壁面の大部分はコンクリートなどで養生されていました。

内部は大部分がコンクリートで覆われていた

青の洞門は日本最古の有料道路だった!

人を殺めた償いとして、半生を投じて人々の為にトンネルを掘る、この美談には後日談があるそうで、禅海は洞門が完成すると通行人から通行料を取って、その売上で結構贅沢な生活を送っていたそうです。

これが日本最古の有料道路だったと言われていますが、道を通るのに通行料を取るという行為は山賊や不貞の輩が古の昔からやってきたことで、出家したとはいえ元は悪党一味だったわけですから、自然とお金を取る考えに至っただけのことなのかもしれません。それを公的なビジネスにしてしまおうなんて考えたあたり、なかなかのやり手だったんだろうと思いました。

しかも禅海は、この洞門のそばに二部屋ぐらいしかない小屋を建て、住み込みの女中と二人で暮していたそうで、えっ?女中?おいおいっていう(笑)

禅海って、実際はどんな人物だったのかなぁ?

洞門は車道の下を突っ切って川沿いへ繋がっています。

禅海和尚手彫りのトンネルは、車道をくぐって川沿いに出る

先ほどバイクで通ってきたトンネルは、明治39年に行われた大改修で、軍事演習場への輸送路として車両が通過できるよう拡幅されて現在のような道幅になりました。

現在も所々に手彫りの鑿跡が見えるトンネル内部

ユニークな石像としゃもじの名刹『羅漢寺』

青の洞門と耶馬溪橋も見たし、そろそろ別府に向かおうとしていると、またまた通り沿いに『羅漢寺』と書かれた看板が立っているのが目に止まりました。

羅漢寺は、青の洞門のさらに山の方に進んだ場所にあるようです。それにしても、羅漢寺ってどっかで聞いたことがあったような…?私は仏像とか古美術とかが結構好きなので、おそらく古美術関連でその名を目にしたんだと思うのですが、だったら是非行ってみたいなぁ。次はいつ来れるか分からないし。

早く別府で温泉に入りたいツレはかなり面倒臭そうでしたが、どうしてもとお願いして羅漢寺にも立ち寄ってもらうことにしました。

耶馬渓の奥にある羅漢寺にも行ってみることに

川沿いの道を走って行くと、平坦な土地にそそり立つように小さな岩山が見えてきました。よく見ると山の中腹には、穴を掘って道にしたような凹凸が幾つも見えますが、もしかして羅漢寺って、あの山の上なの??

山肌には道の様な穴が無数に開いている

えー、何か大変そうだな~

しかしその岩山の周囲には、特に羅漢寺こっちとかの案内はなくて、どうもここでは無さそうです。

岩山を少し通り過ると、羅漢寺専用と書かれた駐車場がありました。しかしそこも、近くに寺の建物などは全く見えず、駐車場にいた人の出で立ちから察するに、ここから先は登山道かトレッキングコースのような感じ。

やっぱり歩きなのか〜。寺までいったいどれぐらい歩かされるんだろう?と、気が遠くなっていると、駐車場にいた人に「もっと奥まで車で行けますよ」と教えていただきました。

なんだ、それならそうと書いときゃいいのにね。

参道入口からは分かりづらいけど、羅漢寺へはリフトが運行している

駐車場から数百メートル走ると、お茶屋さんのような建物とその脇に駐車場。ようやく羅漢寺に到着。

しかし、寺に続く階段は…

どこまで上らせれるか分からない羅漢寺の石段

ふおおお!どこまで続くんや?

「…やめとく?」とツレ。うぅ、これは私の情熱を以ってしてもちょっと。

と、階段の脇のお茶屋さんの女将さんが店から出てきて、「階段上ってすぐのところにリフトがあるわよ」と声をかけてきました。

おおっ!そう来なくっちゃ。リフトは、この石段をわずか五段ほど上ったところに左に逸れる道があって…

案内に従って道を逸れるも、それらしい建物は見当たらない

って、あれっ?どこ?

正面に見えるのは禅海堂といって、先程の青の洞門を作った禅海和尚が、洞門建造の当時実際に使っていたノミやツチが展示されているとのことなのですが、私が来た時には入り口は閉まっていました。結構長いこと建物の手入れもされていないように見えたのですが、今でも資料館としての営業はされているのでしょうか。開いてりゃちょっと見たかったな。

リフト乗り場は、この禅海堂の脇の細い道を通った先、禅海堂の真裏にありました。

リフトは羅漢寺と、その先の山の山頂まで運行しています。今回は山頂までの切符を購入。

羅漢寺に向かうロープェー乗り場
リフトで山頂を目指す

まず先に、途中の羅漢寺にお参りして行くことにしました。結構歩くのかなぁ~

羅漢寺はこっち→

と、早速桟道脇の岩肌に、羅漢像?がお出迎え。

岩の隙間に安置された羅漢像

羅漢とは釈迦の弟子のことで、境内には3770体もの石像があります。寺の歴史は古く、今から約1300年前の大化元年(645年)に、インドから来た法道仙人(ほうどうせんにん)が開いたとされます。

しばらく歩くと、参道の脇に古びた祠が。

参道脇の謎の祠

祠の前には、何故かしゃもじがたくさん!何じゃこら?

祠に奉納されたしゃもじ

そういや、麓にあった駐在所かどっかの前にも、1メートルぐらいあるでっかいしゃもじの表札が出てたけど、これがモチーフだったのか。

すくう=救うでしゃもじらしい

しゃもじが奉納されるようになった由来は、羅漢が多くの人々の悩みや悲しみも救いあげるということから、救う=掬うでしゃもじになったんだそうな。

しゃもじにはそれぞれ願い事が書かれていて、なぜだか全体的に恋愛成就の願い事が多いような?

『イケメンの』ってあたりがなんか・・・

へー、何でだろう?羅漢寺って縁結びのご利益でもあるのかしら。

祠の中にはたくさんの石像が祀られていましたが、これが羅漢さんなのかな?普通に地蔵とか他の仏像のような気もしないでもないです。詳細はどこにも記されていないため不明。

リフト近くの祠のの中に祀られた石像

羅漢寺にある羅漢像の中には、必ず一体は自分にそっくりな像があると言われていますが、3000体以上と言われる石像の中には、恋愛に思い悩む羅漢様も一人や二人はいるかもしれませんね。

祠を後にし参道をなおも進みます。沿道には、思い思いの姿勢で寛いだり修行に励んだりする羅漢様達のユーモラスな姿が。

沿道にも羅漢像がたくさん
寝っ転がって寛いでいる像なんかも見受けられます

前方に見えてきた山門の脇からは、頭上にある大きな建物へ渡る道があるようです。

もうすぐ山門
参道脇にはさっきとは違う祠が

頭上にはリフト駅近くにあった祠を大きくしたような木造の建物があり、こちらにもたくさんのしゃもじがぶら下がっています。しかしそこに書かれたメッセージを読むと、この祠が水子供養のために建てられたことが分かりました。非常に深刻な内容ばかりなので、読んでいると切なくなってきます。何この温度差…

水子を供養する千体地蔵の

中に安置されているのは、水子供養の為の千体地蔵。下の祠に比べるとこちらの方が仏像の数が多いのと、一つ一つの作りもしっかりしていますね。

千体地蔵その1
千体地蔵その3

寺伝によると、室町期の普覚禅師(ふかくぜんじ)という高僧がこの千体地蔵と十王尊を刻み安置したとされています。

千体地蔵その2

五百羅漢像が安置された無漏窟(むろくつ)

山門に到着。

羅漢寺山門

山門をくぐると、すぐ左の山の岩肌に作られた無漏窟(むろくつ)と呼ばれる岩屋があります。

山門を入ってすぐにある岩屋は無漏窟(むろくつ)

ここにもしゃもじがたくさん。中に入ってみましょう。

無漏窟(むろくつ)入り口

無漏窟(むろくつ)の中には五百羅漢像が安置されていました。

無漏窟(むろくつ)内部
無漏窟(むろくつ)内部2

この五百羅漢像は、延文四年(1359年)逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)と 昭覚禅師(しょうかくぜんじ)という僧が、わずか一年で作り上げたと言われています。五百羅漢とはいっても、ここに安置されている石像は実際は700余体もあるそうです。

五百羅漢像
五百羅漢像2
五百羅漢像3
五百羅漢像5
五百羅漢像6

羅漢寺本堂

無漏窟(むろくつ)を出ると、小さな石段の先にはこの寺の本堂が、岩の窪みの中に建てられています。

無漏窟(むろくつ)の先には羅漢寺の本堂が

野趣あふれる山門や無漏窟に対して、本堂はとても状態が良いように見えました。それもその筈、羅漢寺本堂は昭和18年に火災で焼失し、現在の本堂は昭和44年に再建されたものだそう。

羅漢寺本堂は昭和44年の物

本堂の脇には、錦鯉の泳ぐ涼しげな池があります。

本堂の脇にある池は元は滝壺

この池はかつては滝壺だったそうで、離れて見ると確かに、池の上の岩肌には水に浸食された跡が見られました。

池の上には水に浸食されたような跡が

何で滝が枯れてしまったのかは不明。そういや、さっきの無漏窟(むろくつ)の中にあった不老長寿の霊水という甘露水も枯れてたな。

無漏窟(むろくつ)内部の甘露水も枯れてるっぽい

上の写真はその甘露水の井戸。何でしょうね?水脈が変わったりしたのかな?

本堂内部は有料で拝観出来る

本堂の内部の拝観料は300円。池の脇にあるお守りとか売ってるとこで拝観料を支払うと、何故だかその脇の岩の穴に案内されました。あれ?本堂は?

えーっと、本堂は?

中は胎内巡りみたいになってるんですね。岩穴に入ってすぐのところには、三途の川の脱衣婆の石像がありました。

洞窟入り口の脱衣婆の像

穴の中を進むと、突然壁にこんな白黒の写真が額装されて掲げられていました。

『鬼の子のミイラ』の写真

鬼の子のミイラの写真?

残念ながら、実物は昭和18年の火災で失われてしまったそうです。何で鬼のミイラがこの寺に伝えられていたかなど、詳細は記されていなかったので不明。

やっと本堂の二階に出ました。なかなかの眺望ですねー。

本堂二階からの眺望

正面には、来るときに前を通った岩山が見えました。結局、あの山何だったんだろう?

真下を見下ろすと、先程通ってきた庭園が。九州はちょうど藤の花の見頃で、ここの庭園も藤の花が見事に咲き乱れていました。

羅漢寺はまさに藤に花のの見頃

300円で拝観出来るのは、ここだけではありません。さらに階段を降りると・・・

階段がさらに続いている

岩窟の天井スレスレに架けられた橋を渡ります。

やたらと天井の低い橋を渡ると・・・

岩肌にはちょうど飾り棚のような窪みがあって、下にあったのとは違うテイストの素焼きっぽい羅漢像がずらり。

素焼きの小さな羅漢像

一番端にあるこれは、その名も極楽のなで犬。撫でたらどんなご利益があるかなどの説明は全くありませんでしたが、とりあえず撫でときましょう。

なで犬なでなで

指月庵跡

再び庭園のような場所に出ました。

再び庭に出ました

しばらく進むと指月庵跡と書かれた看板が立っている広場のような場所に出ました。

指月庵跡

指月庵とは、中津藩主小笠原長勝によって建造された茅葺き数寄屋造りの茶室だそうで、こちらも昭和18年の本堂の火災で焼失してしまったそうです。

跡地には今は当時をしのぶ物は何も見当たりませんでした。

これが指月庵跡地。何もない

拝観できるのはここまで。そろそろリフトの方に引き返すとしましょう。

そろそろリフトに引き返します

眼から光線を出してキリシタンを撃退した龍の像

引き返して来る途中、来た時には気がつきませんでしたが、階段の脇に大きな釣り鐘を背負った人物の像を発見。

釣り鐘を背負った像

そういや、真下にいると全く見えないんだけど、リフトの方から来た時には、石段の脇に釣鐘が見えたなぁ。

下から見上げると少しだけ見える釣り鐘堂

釣鐘の近くまで行ける道は崩れていて通行出来ませんでしたが、釣鐘を持った羅漢像の頭上には何やら由緒書きがされた看板があります。それによると・・・

焼き討ちから寺を守った龍の石像

焼き討ちから寺を守った龍の石像

享禄三年(1530)から天正十五年(1587)まで豊後国一帯を治めたキリシタン大名大友宗麟は、領内寺院の多くを焼き払いました。

伝説では大友軍が羅漢寺に攻め上がってきた時、この龍の眼から光が発せられ、これにより将兵は力を失い、寺は焼き討ちを免れたといわれています。

はぁ〜、九州といえば高山右近とか黒田長政とか、キリスト教に帰依した武将が多く知られていますが、そのころは仏教受難の時代ってのもあったんですね。ひょっとしたら、織田信長みたいに『坊主生意気だからキリスト教にかこつけてやっちゃえ!』みたいなのもあったのでしょうか。歴史的背景や時系列などは全くよく知らない私です。

その目からビーム出したっつー龍とはコレ。

龍の像はコレ

って、岩山の色と同化していてかなり分かりづらいですが、現地に行って見るともっとはっきりと見えます。多分これは木像かな?

ん?で結局釣り鐘についての説明は無いんかい?

山頂駅

リフト乗り場まで戻ってきました。道の脇からふと下に目をやると、リフトに乗らずにここまで来た人が、山道を登ってくるのが見えました。ひー、元気やなぁ。

では、再びリフトに乗って、今度は山頂を目指します。

山頂に向かって再出発!

山頂到着。これだけ登ってくれば、さぞかしいい景色が挑めるでしょう。

山頂駅は植物園みたいになっていた

えーっと…あれ上るの?

ここからさらに展望台にのぼる

でもそうだよなぁ、周りの木々が生い茂って、地面からは空しか見えないしなぁ。ここまで来たからには、しょうがないので登って見ることに。

山頂のさらに展望台にのぼった景色

おー、なかなかの絶景。しかし、この物見台、もうちょっと雰囲気のあるデザインには出来んかったもんか?何か、消防署みたい。

まー、ぶっちゃけ、リフトの券は羅漢寺まででいいかなって思いました。

麓の茶屋で、大分ご当地グルメの『やせうま』を食す

再びリフトで麓に降りてきました。

参道脇のお茶屋さんで、昼食を食べて行くことにしました。

羅漢寺参道入り口のお茶屋さん
お茶屋さん内部

二人とも蕎麦を注文しましたが、その際メニューの中で気になって一緒に頼んだのがコレ。

これが『やせうま』だ!

これはこの辺りの郷土料理の『やせうま』

幅の広いきしめんみたいなやつに、きな粉をかけたまぁスイーツですわ。味もまぁ想像通りの味だと思います。

でも、見たまんまうどんなので、食後お腹一杯の状態だと結構ヘビーかもね…

では、今度こそ別府に向かって再出発〜!なかなか別府につかないわ(笑)

羅漢寺 へのアクセス

住所:大分県中津市本耶馬渓町跡田1501

Tel:

URL:0979-52-2538

この投稿はEnglishで表示できます。

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